日常の大切さ

この週末は悲しいニュースで終始していた気もする。
いくら本人ではないとはいえ本人が憔悴しきるほどの事だけに我々も自分ごとのように心配になる。
ドライバーならいつでも起こしかねない問題、歩行者・自転車でもいつ降りかかってもおかしくない問題。
かくいう自分も幼少の頃、交通事故ではないが父親を不慮の事故で亡くしている。
ついさっきまで一緒に昼飯食っていた父親が急に事切れた。
当時5歳だった自分は「死んだ」ということは分かってはいたが、それがどれほど悲しいことなのかは分かるわけもなく。


タイトルにも書いた「日常の大切さ」というのは・・・
先日の事故なども含めいつ自分に降りかかってくるかなんて分からないものである。
自分だって今夜の通勤中に車に轢かれて・・・とかホームで押し飛ばされて電車に・・・とか自分が犠牲者になることもあるし、
反対に明日買い物に行く途中不確認で人を跳ね飛ばした・・・なんていう事も一瞬の不注意で人生が180度転換する。


特に突然死を数回見てきた自分は自然に1日1日を楽しまなければという意識が強い。
楽しみつつも1日を大切に、そして自分の好きなように使うことが一番好き。
故に5年後とか10年後はこうなっていたいという理想が少ない。
人生そのものが浮き草家業であったりするw